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最高裁判所第三小法廷 昭和27年(オ)1223号 判決 1954年11月16日

尼崎市北城内一一六番地

上告人

阪神電気鉄道株式会社

右代表者代表取締役

野田誠三

右訴訟代理人弁護士

北山亮

北山六郎

大阪市北区堂島西町二〇番地

被上告人

西きく江

同所同番地

西政博

同所同番地

西律子

右両名法定代理人親権者母

西きく江

同市西淀川区佃町三丁目五三番地

被上告人

木下福太郎

同所同番地

木下勝美

右当事者間の損害賠償請求事件について、大阪高等裁判所が昭和二七年九月一五日言渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士北山亮、同北山六郎の上告理由は末尾添附別紙記載のとおりであるが、原審認定に係る事実関係の下においては原審が西政次郎その他本件被害者に過失の責なしとし民法第七二二条二項を適用しなかつたのは相当であり、その他の論旨はすべて「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。(なお、論旨第二点第七点指摘の甲六号証は訴外瀬野一長、細谷一郎、大門政市等が又甲七号証は訴外木下俊次等が夫々作成した文書であるが、被上告人等が之等第三者作成に係る私文書の成立を証しなくても裁判所は弁論の全趣旨及び証拠調の結果を斟酌し自由な心証によつて其の成立を認定し得ること大審院昭和四年(オ)第一九五六号事件同五年六月二七日言渡判決の示すとおりであり、此の点についても所論の如き違法はない。)

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上登 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)

昭和二七年(オ)第一二二三号

上告人 阪神電気鉄道株式会社

被上告人 西政博

外四名

上告代理人弁護士北山亮、同北山六郎の上告理由

第一点 原審判決には当事者の主張しない事実を認定した違法がある。即ち、

一、原審判決は、踏切看手加藤義一が下り電車が踏切の直前に迫つていたのにこれに気付かず、操作機のハンドルを廻転して遮断機を開いたという事実及び同じく看手川上菊市が下り電車が踏切の直前に迫つていたことを知りながらこれを通行人に警告する措置に出ず、遮断棒が上りかけて通行人が踏切内に入りかけたのを措止する行動に出なかつたという事実を夫々認定し、これら両名の行為はいずれも踏切看手としての義務を怠つたものであるとし、結局本件事故はこれら両名の共同過失に基因するものであるとして、上告人に対し右両名の使用者として右不法行為につき損害賠償義務を認めている。

二、しかしながら、原審判決が引用している第一審判決の事実摘示にもある通り、被上告人は事故発生当時本件踏切には一名しか踏切看手がいなかつたと主張し、その踏切看手が電車通行の際は遮断機を下し……その通過を待つて遮断機を揚げ通行人を安全に通行させる義務があるにかゝわらずこの義務に反し、上り電車の通過した後下り電車の来ることに気付かず直ちに遮断機を揚げたという事実を以て本件請求原因たる不法行為と主張しているのであることは記録上明白である。

即ち、被上告人は、単に遮断機の揚降しの操作に当つていた踏切看手加藤義一の過失を請求原因として主張しているのみであつて、原審判決に認定している川上菊市(遮断機の揚降しの操作に当つておらない踏切看手)の過失の如きは被上告人の全然主張していないところである。

被上告人が予備的にでも、二名の看手がいたとすればその夫々の過失の責任を問うものであるとの主張をしていれば格別、そのような主張も全くない本件に於ては、しかもこの点について何らの釈明もなさないまゝ前記の如く原審が事実を認定したのは、当事者の主張しない事実を認定して不当に事実を確定し、当事者の請求原因として主張していない事実を以て請求を容認する理由としたものであり、或は釈明権の行使を怠つたものであつて違法たるを免れない。

第二点 原審判決には証拠に基かずして事実を認定した違法がある。

即ち、原判決がその事実摘示中にも記載しているように、上告人は被上告人提出の甲第六号証及び甲第七号証の成立についてはいずれも不知と述べたのであるが、原審はその理由中に於て「第三者の作成に係り当裁判所が真正に成立したと認める甲第六号証」及び「第三者の作成に係り当裁判所が真正に成立したと認める甲第七号証」と記し、これらの成立の真正なることを何らの証拠によらずして認定している。

書証の成立につき上告人が不知を以て答えている以上、その書証を採用するには証拠を以て真正に成立したことを認定しなければならないこと明白であるから、右原審が何らの証拠によらないで右の如く認定したのは明らかに違法であると信じる。

第三点 原審判決には採証の法則に反し又は審理不尽、理由不備の違法がある。即ち、原審は前述の如く不当に本件不法行為の事実を認定した上、その損害額の認定にあたつても次のような不当を敢てしている。

一、原審は被上告人西きくゑの蒙つた損害の認定にあたり「甲第六号証、当審での控訴人西きくゑ本人訊問の結果によれば同控訴人は西政次郎の葬式費用等として金五万八千三百三十五円を……支出していることを認めることができるが、該金員の内金四万五千円は本件事故と相当因果関係のある支出と認められる」として、これを損害額の一部に算入している。

(イ) 先ず右認定の基礎とした証拠を見るに、甲第六号証(その成立の真正は証拠に基かずして認定されていること別に述べた通りであるが)には昭和二十三年六月十日、十一日、十二日に分つて夫々支出金額が小計されており、これら小計の合計金一万六千八百三十五円に更に一万五千円と三千円を加へた合計として金三万三千八百三十五円と記載され瀬野一長、綱谷一郎が記名押印しており、これに続いて又何ら日附を記載せずして支出金額が列挙され、その合計として金二万四千四百円と記載され大門政市、大門弘が記名し、大門政市が押印している。

したがつて、右書面の最後に「総計」として記載されている五万八千三百三十五円也は明らかに算数上の誤りを犯したか若くは誤記したものと認めるほかなく、これは正しくは前記三万三千八百三十五円と二万四千四百円との合計金五万八千二百三十五円であるべきものであることは算数上明白である。

したがつて、原審の前記認定は甲第六号証を採用するにあたつて、誤りであることが右の如く明白な右の記載金額を支出額と認定し採証の原則を誤つている。右誤りを犯した金額は些少であるけれども、右の如きは採証の杜撰を物語るものに他ならず重大な採証法則の違背と申さねばならない。

(ロ) 次に原審は、西きくゑが支出した葬式費用等の金額五万八千三百三十五円のうち、金四万五千円が本件事故と相当因果関係ある支出であると認定しているが、前記五万八千三百三十五円のうち一万三千三百三十五円は本件事故と相当因果関係なく、特に四万五千円のみが本件事故と相当因果関係ある支出であるとの点については、その証拠としている甲第六号証には何らこれを認めるに足る記載なく、西きくゑ本人訊問の結果「主人の葬式に要した費用は四万五千円位であります」の供述が調書に記載されているほか、この点に関係ありと見られるものはない。

右西きくゑの供述は、西政次郎の葬式の費用として約四万五千円を支出したとの意味以外に何らの意味を有しないことは明白であり、この点に於て甲第六号証に示された葬儀費等の支出金額金五万八千三百三十五円と喰違つておると言うにすぎず、却つてこの供述は、前記甲第六号証に記載された支出金額が真実であるか否かを疑わしめるに足るのみである。

しかるに原審は、右二つの証拠を基礎として、西きくゑが西政次郎の葬式等に支出した金額については甲第六号証記載金額通りと認定し、その金額のうち、西きくゑの前記供述の金額を以て本件事故と相当因果関係にある損害額と認定しているのである。

即ち、少くとも原審は、西きくゑの実際に支出したと認めた前記葬式費用等のうち一部は本件事故と相当因果干係がないものと認定しているのであるが、何故そうであるかについては何らの証拠もなく説明もなされていない。

もし原審が相当因果関係にある損害額の認定につき前記西きくゑの供述を証拠としたものではないものとすれば、これ以外に原審の認定した西きくゑの支出金額のうち特に本件事故と相当因果関係にある損害額は金四万五千円のみであるとしたことに関係ありと見られる証拠はないから、証拠に基かずして右認定をなしたものと解するほかなく、又右供述を証拠としたものとすれば、疑いの余地のない証言の意味を故意に曲解したものであり、又前記西きくゑの支出金額が何故全額につき本件事故と相当因果関係にあるとも認められず一部のみがそのように認められるかにつき原審判決には何らの説明がないから、いずれにしても採証の法則に反したか又は審理不尽若くは理由不備の違法あるものであることは明白である。

二、更に原審は、被上告人木下福太郎及び木下勝美の蒙つた損害の認定にあたつても、右西きくゑ損害額の認定の場合と同様、これら両名の葬式費用等に支出した金額についてはこれを甲第七号証により金五万三千四百三十五円と認定し、そのうち金五万円が本件事故と相当因果関係のある支出であると認定しているが、右五万円のみにつき事故との相当因果関係を認めた点については何らの証拠がなく、又何らの説明もなされていない。

この点に於ても原判決は、証拠に基かずして事実を認定したか又は少くとも審理不尽、理由不備の違法あるものである。

第四点 原判決は、本件事故が上告人の被用者の過失によつて発生したものであると認定するにあたつて、次に述べる如き諸点に於て実験則に反し、或は採証の法則に違背して不当に事実を認定したか、又は審理不尽、理由不備の違法を犯している。

原審は、本件事故当時遮断棒が上つたのは通行人の誰かが上げたのではなく、本件踏切を上り電車が通過して直後この踏切を通過する下り電車のあることに気付かずして踏切看手加藤義一がハンドルを操作して上げたものであると認定している。そしてこのように認定した理由として先ず(1)当時遮断棒の上つた高さにつき、下り電車が踏切の間近に迫つた直前には遮断棒は根本のところで五、六尺の高さに、従つて西端(第二アーム)の方ではそれ以上のかなりの高さ(大人が自転車に乗つて通れる以上の高さ)に上り、被害者らが踏切内に入つた後はなお高く上つたと認定し、次いで(2)ハンドルによらず遮断棒を持ち上げることは困難であり、できたとしてもそれは地面から四尺位の高さまでに過ぎないとの事実を認定し、更に(3)本件遮断棒は上り電車が踏切を通過し終る直前、下り急行電車が踏切の東方数間の距離に迫つた時に上りかけ、大人の通行を可能にする高さまで上り、踏切の南側で遮断機の上るのを待つていた通行人七、八名が何の疑念もなく危険感をもたず殆ど一齊に踏切内に入りかけたとの事実を認定し、結局通行人の誰かゞ遮断棒を持上げたためにこれが上つたと考えることは不合理であるとし、踏切看手加藤義一がハンドルの操作によりこれを上げたものと推断する他ないとしているのである。

一、しかしながら、当時遮断棒が上つた高さを前記のように認定し、特に被害者らが踏切内へ立入つた後遮断棒は大人が自転車に乗つて通れる以上の高さに上つたと認定しているについては、

(イ) 原審は、原審証人河村虎太郎の「証人は踏切近くの交通巡査の休息所の工事の現場監督に行き、行つて三分間程するとパンという音がしたので踏切の方を向くと同時に電車が通過し遮断機が上から下りて来るのが見えた。下りて来た遮断機は工事していない東側半分の遮断機で、それは完全に上つていたように思う。証人が見たのは電車通過後に下りて来たのを見たので、その時遮断機が高く上つていたのを見た……被害者である男の人は自転車に乗つており、自転車には木箱を積んでいたので電車と衝突した時パンと音がしたものと思う。……」との証言を有力な証拠としているようであるが、原審に於て被上告人の援用した右証人の第一審における証言中には、又「証人はその時前西側の工事をしている遮断機の側近く建築工事中の現場に西を向いて立つて話をしていたので、パンと音がしたので東側を向いたので、そこへ電車が通行して行きました」との証言もあり、又原審の採用した前記証言中「証人が見たのは(遮断棒が)電車通過後に下りて来たのを見たので、その時遮断機が高く上つていたのを見た」といのは証言自身矛盾しておることなどに徴し、このような場合、衝突の音がするまでは全然他の方向を向いて話をしており、その音によつて初めて事故現場をみた人の証言が、特にどの程度遮断機が上つていたかなどという事項については正確なものであり得ず、単に後日の想像をのべたにすぎないことが多いことは吾人の実験則といわねばならない。

(ロ) 原判決にも挙示されている第一審における証人坪田麗子の証言にも「証人の通れる程度に遮断機が上つたから渡ろうとして少し入つた時に右を見ると電車がすぐ間近に近ずいて居た。驚いて後へ戻つたときは遮断機は胸のところまで下つて居つたので遮断機にひつついて電車の通過を待つた」とあり、原審証人木下美代子の証言中にも略々同様の証言があつて、遮断機が上つていたのはほんの一瞬であつたこと、従つて又ほんの少ししか上らなかつたものであることを認めるに難くない。

右の(ロ)の如く当時直接事故現場にあつた証人の明白な証言から当然判断される事実を認めず、(イ)の如き実験則上不正確で信用するに足りない証言を以てこれに反する事実を認定したのは、採証の法則を違背したものであるか、又は特にそのような認定をなす理由の説明に欠ける理由不備の不当あるものと言うほかない。

二、更に原審判決は「当時遮断棒が手で持ちあげることができたとしてもそれは地上四尺位の高さまでにすぎないから、大人が立つたまゝでは通り得ない筈である」旨説示し、本件に於て遮断機が上つたのは通行人によつて手で持ち上げられた為ではないことを認定している。しかしながら原審の右判断は、吾々の実験則に反する前提に立つてなされておる違法がある。即ち、本件の如く踏切に於て遮断機の上るのを待つている通行人は遮断棒が上りきるのをも待たずに、まして遮断棒を自分で持上げて通る場合には尚更自ら身をかゞめて踏切内へ突入するものであることはしばしば目撃するところでもあり、実験則上明らかなところであつて、「立つたまゝで通る」ことは普通考えられないところであるからである。したがつて、右の如き実験則に反する前提に立つてなされた右原審の判断は不当たるを免れない。

三、又原審は、遮断棒を手を以て持ち上げうる程度に関し第一審の検証の結果中「本件踏切に設備されたような遮断機は遮断時に操作機のハンドルに近い方の側の第二アーム(第一アームの誤記と認められる)及び凸腕に手を掛けてこれを持ち上げようとしてもなかなか持ち上げることは困難というよりも不可能に近い」という部分のみを挙示しているが、同検証調書の記載に明らかな如く「ハンドルに遠い方の側は容易に持ち上げることが出来……依つて通行者がハンドルに遠い方の側に手をふれて之を持上げたとすれば容易に通行し得ることが認められる」のであるから、結局「遮断棒を通行人が持ち上げたとすれば、根本の方を持ち上げたものである」との前提に立たない限り右検証の結果は、遮断棒が通行人によつて持上げられたものではないことの証拠とはならない。しかるに原審判決は、右の如き前提事実を証拠により認定した形跡なく、したがつて右前提なくして右検証の結果を以て遮断棒が通行人によつて持上げられたものではなく、従つて踏切看手がハンドルの操作によつてこれを上げたものであることを推断する証拠とした原審判決は、明らかに採証の原則又は論理上の原則を無視した違法がある。

第五点 原判決には当事者の主張及び立証について判断を脱漏した違法がある。即ち、

上告人は、本件事故の起つた事情につき昭和二十四年一月二十二日附準備書面に於て「本件事故の当日には先ず下り電車の警鈴が鳴り初めたので川上菊市が交通整理をなし、加藤義一が遮断棒を下降したがその操作中次いで上り電車の警鈴も鳴り初め……」と主張し、同準備書面の記載通り陳述したことは記録上明らかであり、又上告人の申立てた証人川上菊市の第一審における証言中に「その当時下り臨時(神戸行)の警鈴が鳴つたので証人は通行整理のため外へ出ました。遮断機は既に下されていました。所が電車より先に上り急行(大阪行)が差掛り警鈴が鳴り電車は上り急行の方が先に踏切に現れ……」との供述があり、又同じく第一審における加藤義一の証言中にも「事故当時には初めに神戸行下り電車の警鈴が鳴り始めたので証人が遮断機を下降しましたが同時に上り電車の警鈴が鳴り……」との供述があり、又同証人は原審に於ても「遮断機の上げ降しはベルによつてやつておりました」旨の供述がある。

しかるに原審は、事実の認定にあたり「本件事故が発生した直前の昭和二十三年六月十日午後五時頃であつた。常のとおり電車の近附いたことを報らせる警鈴が鳴り初めたので、川上菊市は番舎から外に出、加藤義一はハンドルを廻転して遮断棒を降した」と認定し、本件踏切にある上り線、下り線の両警鈴のうち、いずれが先に鳴りはじめたか等の上告人の前記主張については全然判断をしておらず、この点に関し前記各証拠についても判断をしていない。

しかしながら上告人の前記主張は、結局下り電車の警鈴が鳴りはじめたゝめ加藤義一は遮断機を下降したのであるから加藤義一が当時下り電車の接近を知つていたことは明白であるとの趣旨に於て重要な主張なのであり、又上告人は右主張を立証することによつて加藤義一が本件遮断棒を操作して上げたものでないとの事実を立証せんとしたものであつて、前記各証拠は重要なものなのである。

然るに原審が右主張及び立証に全然判断を加えず、その判決理由中に「上り電車の通過後この踏切を通過する下り電車のあることを知りながら踏切看手が遮断棒を挙げることは通常あり得ないことであるから、加藤は右下り電車のあることに気附かずに遮断棒を上げたものと認めるのが相当である」と認定しているのは、重要な当事者の主張及び証拠につき判断を脱漏し、少くとも理由不備の違法がある。

第六点 原判決には法律の解釈又は適用を誤つた違法がある。

即ち、原判決は本件事故の発生した情況につき「被害者ほか約十名内外の者が南から北に踏切を渡るため差掛り遮断棒の上るのを待つていた……上り急行電車はやがて踏切に姿を現わしこれを通過し掛けた。これと時を同じくして……下り急行電車が……踏切に迫つていた。川上菊市はこの下り電車を既に認めてこれに対し白旗を振つたが、待避中の通行人に対しては下り電車が踏切に迫つていたことを警告しないまゝ番舎の方に向を変えて番舎内に入るような姿勢を取つた。この時上り急行電車の後部はまだ踏切上にあつたのであるが、加藤義一は……ハンドルを廻して遮断棒をあけに掛り、坪田麗子や木下美代子の待避していた附近で五、六尺の高さに、西政次郎の待避位置ではこれ以上のかなりの高さに遮断棒が上つた。遮断棒が上るや待避中の六、七名の歩行者は右下り電車のあることを知らず危険はないものと思い、踏切を横断しようと殆んど一齊に踏切内に足を踏入れ、西政次郎は自転車を乗り入れ掛けた」と事実を認定し、右のような情況に於て、下り電車の接近に気付かず踏切を通行しても何等の危険がないものと考え慢然と踏切内に立ち入ることは通常の行動であつて、これを不注意としてとがめるのは酷であろうと説示して本件事故について被害者に過失なしとし、これありとする上告人の主張を排斥している。しかしながら、右は民法第七百二十二条第二項にいわゆる「被害者に過失ありたるとき」の解釈又は適用を誤つたものである。

即ち、如何なる場合と雖も、凡そ電車の踏切を横断しようとする通行人が唯遮断機の昇降のみを唯一の行動基準として電車の踏切通過につき何らの注意を払わなくても同通行人に何らの過失もないというが如きは到底一般社会通念の容認しないところである。極端に言うならば、かくの如きは人間が自己の生命を自ら進んで全面的に自己以外の者の行為に賭けることを怪まない思想というほかない。まして本件に於ては当時「踏切警鈴は二本設備され……いずれも電車が踏切から一定の距離に近附いた時から自動的に鳴り始め、電車が通過し終るまで鳴り続ける仕掛になつていた」ことを原審は確定しているのであるから、本件被害者は、警鈴が鳴りつゝあり且つ下り電車は極く近くまで接近しておつて一寸それを確める注意をすれば容易に被害を免れ得たにかゝわらず敢て踏切へ侵入したものであり、かゝる場合に於て被害者に全然過失がなかつたとの認定は到底首肯し難い。

原審が本件につき、被害者に過失があつてもそれが些細なものである等の理由を以て所謂過失相殺する必要なしと判断したのであれば或はこれは裁判所の自由裁量の範囲に属するとして容認されることもあろうけれども、結果に於て同一であるとの故を以て本件の場合被害者に過失なしとする如きは、明らかに前記の如き法律の解釈又は適用を誤つたものである。

以上

昭和二七年(オ)第一二二三号

上告人 阪神電気鉄道株式会社

被上告人 西政博

外四名

上告代理人弁護士北山亮、同北山六郎の上告理由追加申立書

第七点 原判決には採証の法則に違背し、又は審理不尽、理由不備の違法がある。即ち、

原判決は本件事故による損害額の認定につき、上告人がその成立につき不知と述べた甲第六号証、甲第七号証を証拠として採用するにあたつて、夫々「第三者の作成に係り当裁判所が真正に成立したと認める甲第六号証(甲第七号証)……によれば……」と述べているのみであつて、結局これらの各書証が何人によつて作成されたかを特定していない。

しかしながら、凡そ成立に争のある書証を証拠として採用するにはその成立が真正であることを証拠により認定することを要し、書証の真正を認定するにはその前提として該書面が何人によつて作成されたものかを先ず特定しなければならない。然るに、単に「第三者の作成に係」るというのみではその第三者という意味が不明であることは兎も角、かりにこれが当事者以外の者という意味であるとしても果して何人の作成に係るものであるかも特定せず、その成立の真否を判断できる筈がない。結局その結果、原審はこれらの書証を誰が作成したものとして証拠としたのかは不明であり、何人が作成したか特定しない書証を真正に作成されたと認定しているのであつて、その不合理は明らかといわねばならない。

かくの如きは採証の法則に反し、もしくは論理的にナンセンスというべき不備な理由説示であり、更に被上告人がこれら書証を何人によつて作成されたものと主張するのかをも釈明せぬまゝ審理を了えた審理不尽の違法あるものである。

第八点 原審判決は上告理由第三点(イ)に於て述べた以外にもこれと同様明白な採証法則の違背、又は審理不尽、理由不備の違法を犯している。

即ち、原審は本件事故により被上告人西きくゑ及び被上告人木下福太郎、同木下勝美の蒙つた損害額の認定にあたり、甲第六号証及び甲第七号証を証拠として右被上告人らが夫々被害者らの葬式費用等としてこれら書証に記載された合計額、即ち西きくゑについては金五万八千三百三十五円、木下福太郎、木下勝美については金五万三千四百三十五円を支出したことを認定している。しかしながら、右甲第六号証、甲第七号証には夫々次に示す通り誤算又は誤記があること算数上明白であるのにこれにつき何らの説明もなく、又誤記とすれば何処が誤記であるか、又誤算とすれば正しくは何程であるか等につき何らの審理及び説明をせずして、これら各書証の誤算又は誤記であることが明白な記載金額を根拠としそれに合計額として記載された額を以て夫々の支出額と認定しているのは明らかに採証の原則に違背し、又は審理不尽、理由不備の違法を犯したものである。即ち、

甲第六号証については、

(イ) 十二日の各支出額を列記した最後に「小計四千三百三十円」と記載されているが、十二日の部分に記載されている各支出金額の総計は金四千二百八十円であること算数上明白であるから、これは右小計額の誤算又は誤記であるか、各支出金高に脱漏又は誤記があることが明白である。

(ロ) 右のほか上告理由第三点一の(イ)に於てのべた加算上の誤りにより金一百円の誤差が生じている。

(ハ) 結局右(イ)、(ロ)の誤差により総計に於て金百五十円の誤差が生じていることは明白なのである。

甲第七号証については、

全部の各支出額を合計すると金五万三千九百五十円であることが算数上明白であるから、結局同書面の終りに「合計五万三千四百三十五円」とあるのが誤記又は誤算であるか、各支出金額中に金百五十円に相当する誤記又は脱漏があることは明白である。

以上

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